物心つく前からThe Beatlesが流れている環境で育った私は、気がつくとRADIOHEADやPixies、Oasis、The Velvet Undergroundに心酔していた。
いわゆる“オルタナティブロック”と呼ばれるバンド。
カルチャーは何かとオルタナティブが好きな傾向にある。
彼らは既存の型にとらわれない自由な表現で音楽を作った。
少し言いすぎてしまえば私の対話も同じようなものだ。
必要であるなら既存の型も分からないほどに自由に対話を作れればいいと思ってる。
哲学対話のように、対話そのものを壊して作ってを繰り返したい。
響く音楽が変われば聴く人が変わるように、開かれる対話が変われば参加する人も変わる。
対話はもはや必需品だ。アクセスできる人が限定されていて欲しくない。
そのためにインクルーシブ対話をやってきた。
ここではオルタナティブ対話と言った方が適切だろうか?まあ語る文脈でここら辺は変わるからどっちでもよいのだけど。
そんなこんなで、どうやら私は先人たちがつないできた哲学対話にオルタナな側面を生やそうとしている。
“既存の型”というのは厄介で、それが正しいようで正しくないようで、やっぱり正しかったりする。
いや、正しいという表現は不適切で、“基礎”というほうが適切だろうか。
基礎は大切だ。そこが甘いと家が崩れたり着物が着崩れたりと、何かとズルズルスルスル滑り落ちていく。
言うまでもなく、インクルーシブ対話の基礎は哲学対話だ。
だから当たり前だが哲学対話を疎かにするつもりも、批判するつもりもない。むしろ最大限のリスペクトをもって取り組みたいと思っている。
その上にオルタナティブでインクルーシブな対話が開かれて欲しいと切に願う。
全く新しいものを0から作ろうとは思っていない。
ただまだ無いものは作りたい。
それが哲学対話の延長、もしくは脇道としてでもいいから、新しく道を作りたい。