セツナレンサ

対話のあるせいかつ

あたたかいズボンをはかせてください

2023.1.13

「あたたかいズボンをはかせてください」

 

今日は特に寒い。

あと少し日が沈んでしまえば、雨は雪になっているはず。


寒いことが極端に嫌いだ。

神経がむき出しになってしまって、何をするにもびくびくと震えてしまう感じが、嫌いだ。

それに比べ夏の暑さは、私をぼやけさせ、だらだらと世界に溶け出すことを許す。


「寒い」で想起する思い出のなかの私は、いつも制服を着ている。

ほんと、制服って寒い。教室って寒い。


寒さがこんなにも嫌いになったのは中学の卒業式だ。

いまでもはっきりと覚えている、心臓まで届く寒さ。

人は心臓に寒さを感じてしまうと恐怖する。

それでも素足をスカートから伸ばし、友達と永遠写真を撮っていた。

おそるべきJC魂。


高校に入るとスカートはさらに短くなる。

ある真冬の昼下がりをよく覚えている。

掃除場所への移動中、外に面した渡り廊下を歩いていたとき、私は命の危機を感じた。

足から入ってきた冷気はあっという間に私の心臓をつかむ。

あの「ああもうだめだ、どうしようもない」という諦めの気持ち。

暑さは冷房の効いた部屋に入ればある程度すぐに改善されるが、寒さはそうもいかない。

「ああもうだめだ、しばらくこの寒さと真正面から対峙して、戦わなければいけないのか」という17歳の絶望。

先生方、あたたかいズボンをはかせてください。ダウンも着させてください。

勉強、頑張りますので。

 

 

「わならなくて、ありがとう」


家族のことをこういう場に書くことをしてこなかった。

書きたくない、ではなく、書くことがなかった。

しかし2年前の私が書いていたメモに、「わからなくて、ありがとう。」とあり、ふと私の永遠の研究対象である兄について書きたいと思った。

 

わたしには3歳上の兄がいる。

兄の存在は年々、手触りが遠くなっていく感覚がある。

すでに離れて暮らしているのがその理由だろう。

時々会うとき、見知らぬ服を着ている彼は、どこか他人面をしている。

でもそんな他人面の彼を、私は小さなころからたしかに感じていた。

いつも大きいほうのケーキを譲ってくれる、優しいお兄ちゃんだったが、そんなときも、どこか私とは異なる他者だった。


兄の存在は私にとって、一番身近であり、一番未知なものとして君臨している。

兄のことをわかったことがない。

本心に触れたことがないような気がする。

いつだってその場に適した言葉を吐き、バランス取る彼。

本当の彼はきっともっともっと奥にいる。


先日、運動会の玉入れの動画を見たとき衝撃を受けた。

まだ3等身ほどの幼い兄は、かごに群がる同級生の輪の一番大外をぐるぐる回る。

「なにしてんの~(笑)」と笑いながら、よくよく見てみると、こぼれてくる玉を中心へと投げ集めていることに気付く。

みんなが玉をすぐに入れられるように、ひとりだけ玉集めをしていたのだ。

その場を見て、本能的にバランスをとる行動をする兄。


わからない。

彼のことがわからない。


兄は私にとって圧倒的な他者だ。

私は対話をはじめ、いろいろな人と分かり合おうとしてきた。

家族とも、兄とも、対話を何度も試みた。

それでもわからない。彼のことがわからない。

いや、頭でわかっていても、いつも感覚的に理解するに及ばない。

 

しかしそれは絶望ではない。なんなら希望だった。

どこまで行っても分かり合えない他者の存在。

その他者と良好に共存していた事実。

それは私に異なる他者との共存の道標を与える。


そして圧倒的な他者の存在は世界の幅を何倍にも膨らませる。

「自分と同じ人ばっかじゃつまらないじゃん」と誰かは言うが、まさにそれだ。

圧倒的な他者は私に“想定外”をもたらす。

思いがけない衝撃や出会いを誘発し、私をまたどこかへ連れて行ってくれる。

あぁ、わからなくて、ありがとう。

 

f:id:hachi_wimps:20240113232719j:image