セツナレンサ

対話のあるせいかつ

ダイアログ日記#3

ガザの一向に良くならない現状にひどく落ち込む。

反戦のムーブメントがあちこちで起きている中で、私には対話を開くことしかできないのだが、対話を開くことはできるので開くことにした。

 

反戦のための対話。

SNSで宣伝をして、公園で行った。

当日、来てくれたのは4人。

とても尊敬する。

対話は馬鹿にされているし、胡散臭いと思う。

そんななか、戦争が嫌だという思いで、哲学対話知らない人も来てくれたことに驚いた。

 

いろいろなことを話した。

「平和とはなにか」「対話は足りないのか」「反戦を主張するべきなのか」「自分に何ができるのか」「社会をよくするとはどういうことか」

するすると問いが出てきて、感触としては開いてよかったと思えた。

 

そしてここでは2つ書きたい。

1つはデモについて、もうひとつは“肯定的に問う”ということについて。

 

今年一年、私はデモについていろいろなことを考え直したように思う。

理由はいろいろある。

対話を開き続けたこと、反戦デモに参加したこと、神宮外苑の再開発のデモで対話を手伝ったこと、気候変動のムーブメントをしているアクティビストの子とであったこと、対話で出会った社会に関心のある人たちとの会話。

そのひとつひとつが私に「社会運動」の価値観の形成を促した。

 

結果として、今は、私はデモが好きではない、いう結論に至っている。

居場所がないのだ。

大声で反戦を叫ぶことも、大勢で街を練り歩くことも、目立つ場所でプラカードを持ってスタンディングすることも、私の身の丈からはどうしてもはみ出てしまう。

 

そして、そのことは私にとってとても深刻だった。

社会に向かって主張する術がないからだ。

手段を持たされていない、という気持ちになる。

これは“意識が低い”ということなのだろうか?

 

せっかく身の回りの問題が社会と接続していることに気付き、どうにかしたいという思いに駆られているのに、既知の社会運動には抵抗がある、今の私。

もし、その「どうにかしたい」という思いがもっと強かったら、抵抗なくデモに参加するのだろうか。

そもそも、思いが強く、デモに抵抗がないことが、優れているということなのだろうか?

 

そうして、デモが生む「分断」について考えた。

デモは包括的ではなく、排他的な態度に見えることがよくある。

「わからない」と言えない苦しさも、「こうあるべき」と強く主張する必要もある。

人に自分の正しいと思う意見をぶつけることは容易ではない。

”価値観の押し付け”とも呼ばれるくらいだ。

それが人々を問題から嫌煙させてしまう側面なように思えた。

 

もっと包括的な姿勢でいたいし、「わからない」と言いたい。

でも「なにかモヤモヤはする」という気持ちは大切にしたい。

そんな、弱い私を救う手段が、やはり対話だった。

「いい世界にしたい!」とみんなと叫んでいても、隣の人の“いい世界”が私と違うかもしれない。隣の人は同じでも、その更に隣の人とは違うかもしれない。

それでも一緒に歩き、叫び、主張する。それは怖い。

だから、対話で前提を照らし合わせたい。

そして自分の正しさを他者に崩され、再構築させたい。

時には「べつにそれになんの問題も感じないんですよね」とおそるおそるでも言いたいし、それが非難されることなく飲み込まれ、それでも共存する道をつくってみたい。

 

対話は包括的な場になりうる。

それは“肯定的に問う”ことが可能だからだ。

だからここから、“肯定的に問う”ことについて触れたい。

 

私は対話を継続していて、いろいろな部分が生まれ変わった。

その一つに「反対意見にむしろ出会いたい」と思えるようになったことがある。

以前であれば反対意見をもつ他者との対立は避けたかったし、「違う」とすら思いたくなくて考えをそもそも言わないことが多かった。

それでも「反対意見にむしろ出会いたい」と思えているのは、意見が違う人とも対話が可能で、さらに共存も可能だということを知ったからだと思う。

 

今回の反戦の対話で、ある人が話してくれた。

 

「自分も「なんでそう思うの?」と肯定的に聞きたい場面たくさんあるんだ。でもなかなかできない。それを言われた人は詰められているように思うだろうし、否定されている気持ちになると思うから。だから自分は人を選んで「なんで?」って問いかけるなあ」

 

とてもよくわかる。

「なんで?」と言われるとそこに正当な理由がないとダメなような気持ちになる。

「いや、そんな深くは考えてないんだけどさ、、、」と汗をかきながらいい、するすると逃げてしまいたい、とも思う。

よいしょ、よいしょと、かっこいい理屈を並べてみたりもする。

 

しかしそれでも私は、だれに対しても「なんで?」と問えると思っているし、実際に問うている。

どんな強固なマイノリティ性や加害性がある人にとっても、語りの場はあるはずだ。

そう、問いかける時、私たちが選ぶべきは人ではなく場所ではないだろうか?

その場が「なんで?」と問える場か否か、私は慎重に考えているように思う。

 

では、「なんで?」と問える場とはどのような場だろうか?

このアンサーとして私はよく「それは“許されている場”です。」と言う。

では“許されている場”は具体的になにが許されているのか。

これはここに書ききることはできないように思う。そしてこれからずっと長い時間をかけて考えていきたいと思っている。

でも、おそらく、「わからない」と言うことが許されていることや、発言に対して後ろ指を刺さないこと、考えていなくても聞いていなくても発言しなくても存在していいこと、などはよく挙げられる。

2年前に受講した対話の授業で“ここにいても大丈夫な場”と表現していた人がいたが、ほんとうにいい表現だと、いまでもよく思い出す。

 

そしてさらに、“場の前提が共有されている状態”もとても重要だと、最近はよく思う。

それはつまり、「ここはそういうことを話す場ですからね」とあらかじめ言っておく、などといったものだ。

その場の非日常性を示すことや、(議論・批判・評価するつもりがないなどの)聞き手の態度の在り方を示しておくことで、人が語り始める可能性はぐっとあがる。

 

これは、私が摂食障害を患っていたときに感じたことだ。

あの時の私は過食嘔吐と呼ばれる疾患だったため、とにかく隠れて食べ物を食べ、隠れて吐いていた。

そしてそのことがバレると世界が滅ぶとすら思っていた。語るなんて到底あり得ないことだった。

しかし勘ぐった親は「食べてるの?」と聞いてくる。

そのとき、私の心臓は大きく跳ね、「食べてないけど!!?」と怒りとともに言葉を投げ捨てていた。

悲惨だ。

しかしここで話したいのは悲惨な過去ではなく、「食べてるの?」という問いに“懐疑”や“失望”や“評価”といったものが付いているように感じたということだ。

それらを、私たちは敏感に感じ取る。後ろめたいものであれば余計に。

そうして語らなくなる。

 

しかし、あるカウンセラーに出会ったことがきっかけで、私は語り始めるようになる。

そのカウンセラーはいわゆる“認知行動療法”や“当事者研究”と呼ばれるカウンセリングを私へ実践した。

詳しくは書かないが、“当事者研究”では自分の疾患の病名を自分でつける、という試みをする。

なんでも良いのだ。「時間あるとすぐ寝ちゃう病」とか、「帰宅後すぐお風呂入ればいいのに入れない病」とかでもいい。

重要なのは、病名を自分でつけてみることで、自分にべっとりとくっついている問題をひき剥がすことができるという点だ。

引きはがした問題を、目の前の椅子に座らせ、観察したり、対話したりすることが可能になるのである。(自分を客観視、自分の病気を客観視する、ということ)

 

そうして私は、自分の意志とは反して何かを食べてしまう理由を考察し、人に伝えていた。

おそるおそるだが、カウンセラーに向けて自身の愚かさを語っていたのだ。

「ここはあなたの過食嘔吐について反省ではなく、研究してみる場だよ」という前提が、私に語りをもたらしたのである。

 

なんだか長く過去について書いてしまったが、この経験は私に「苦しみと対話の相性がいい」ことや「人が語れるか否かは、聞き方や場が大きく影響している」という価値観を与えた。

 

昨今とくに、苦しみや問題を人前で語ることが難しい社会だと思う。

今書いた摂食障害の過去もX(旧Twitter)だったら「自分語り乙wwwww」とリプライが付きそうだ。

しかしその苦しみや問題は、私たちや社会を着実にむしばんでいく、無視できないものばかりだ。

以前対話した、ある母親を思い出す。

「子育ての大変さを話すと、周りに「それはお前が生むって選択した結果だろ。責任はお前にある。」と言われる。」と話してくれた。

想像してみてほしい。

なにか困ったことが起きたとき、そしてそれをなんとなくでも周りに話したとき、「それは自分の選択の結果で、責任はあなたにある」と言われることを。

そういう社会で生きていきたい人はどれくらいいるのだろう。

すくなくとも私はしょっちゅう迷い、嘆き、うじうじとしているので、その社会はつらくて仕方ない。

だからせめて、人の弱音や後ろめたさのすべてを許す態度で生きていきたいのかもしれない。

そうしておずおずと語り始めた人の話が聞きたいし、私も語り始めたいと願っている。