セツナレンサ

対話のあるせいかつ

お墓参りと対話の話

今年が始まってすぐ、生まれて初めて1人でお墓参りに行った。


おじいちゃんは私が3歳になる1日前に死んじゃって、ほとんど覚えていない。

覚えていることといえば、別荘で兄とおじいちゃんが詰み将棋をしていて、私はその盤面を見ていたこと。しかも私の頭に残っている映像は将棋の駒だけ。おじいちゃんの顔の記憶は無い。

次に覚えている記憶は、お葬式のとき。暗くて長い廊下、泣いてる大人。私は、黒くて幅が広くて長くて背もたれのない椅子に座っていた。

今座ったら細くて短い椅子なんだろうなぁ

 


お墓参りに行くとき、「これはいい行いをしようっていう不純な動機じゃないからね」、と心で散々言い訳をした。

電車の中でも唱えていたし、お寺に着いてからも、水を汲んでいるときも、おじいちゃんの前でも言った。

いつでも自分の優しさを受け入れられず、偽善だと言い張るのは私の悪い癖だと思う(ほんとうに自分は優しくないが)。

なぜお墓参りをしようと思ったの?

 


そこのお墓は小さい頃からずっと、近くの家からオペラを練習している声が聞こえる。

寒いねぇ、なんて、久しぶりに会った微妙な距離の友人との会話みたいなことを言いながら、ぎこちなく話始める。

おじいちゃんには特に母親とのことを話した。

今までかけた迷惑への懺悔、これから家を出ていくことについての不安、母親ともっと対話をするべきなんだと思うという想い。

気がついた時にはボロボロ泣いてたけど、普段からところ構わずわんわん泣くので特別な気持ちにはならなかった。

オペラで揺れた空気と線香の匂いと温かい気持ちが立ち込める

 

 

対話をはじめて気がついたら2年弱が経つが、はじめての故人との対話だ。何をもって対話というべきか分からないけど、でも実感として対話をした、気がする。

生きてる人と話していても、全く対話できてない……!、という実感が残ることはよくある。

なぜ対話できたと思ったの?対話とはなんなのか

 

f:id:hachi_wimps:20230420034018j:image

 

母親とは最近、ほんとうによく対話をする。(わたしのグダグダとした対話に空が白むまで付き合ってくれる母親はほんとうに優しいと思う)


「ねぇ美しいってなんだろうね?」と問うと、「自然のことじゃない?」と言われ、「でも美しい友情って言ったりもするよね」といい、穏やかな沈黙のあと、「でも自然体だから美しいかもね」と言われ、「海外じゃシンメトリーが美しいってされてて、日本じゃアシンメトリーが美しいって感じて、人種によっても変わるよなぁ」と言う

穏やかな沈黙がその場を支配する

 


わたしは自分の働き方について考えていると、

「ママはさ、ここまでの人生幸せだった?」

とよく聞いてしまう。幸せじゃないと言われてもいい、ただ聞きたい、どう思っているのか、死んでしまったら、残された人は想像するしかない。身勝手な想像をして、自分を落ち着かせ、そういう自分にまたわたしは嫌悪するはず。

もうすぐ就職して家を出ると思うと、今聞いておかなければ、という思いに駆られ、今までの感謝が溢れ、できるだけ幸せにしてあげたい、とズルズル思う。(これに関しても得意の偽善認定をしてしまうし、これを明文化するのはあまりにも自分をよく見せすぎである、けど、あえて言う。)

 


母親は、なにこれ尋問?それとも面接?履歴書出したっけ?とパラパラ笑って、よく自分の話をしてくれるようになった。

私たちは互いに、よく聞いて、よく話して、またよくきいて、あの時はお互いにしんどかったけどこれで良かったね、と安心して眠る。

対話において最も大事なことは、“よくきく”こと

 

f:id:hachi_wimps:20230420033653j:image

 

母親と娘、という関係は、きっとどの家族関係よりも難しい。山の天気よりもコロコロ変わる。朝雲行きが怪しくなったと思えば、夜には真っ青な青空が広がっていることはよくある。

そうしてギクシャクして、人生すら下向きになってしまう家庭を、私はいくつか知っている。

なぜ人とギクシャクしてしまうの?

ギクシャクしている人と私は逃げずにちゃんと対話出来るだろうか?

 

f:id:hachi_wimps:20230420033724j:image

 

さいきんようやく、日本でも哲学対話が広がってきた。

役に立つといって、企業に取り入れられ、就活に関係してきたり、一部の地域では教育のカリキュラムに取り入れられている。

貧困や精神疾患の改善にも役立つと言われている。

対話で少しでも人が感じる痛みがなくなるなら、広めたいと思う。

そのために本をよみ、論文をよみ、社会と対峙し、対話を実践する。

 


でも、でも、でも、

2年弱、対話について考えているとき、常に、脳裏から目の前をグルっと覆ってくる、ある人の顔と、言葉と、そのときの私の絶望がある。

深くまで潜って考える私を知り「変だ」という人は多い。

ただ、そこから更に、貶し、はずかしめ、そうなった背景である過去否定し、惨めだとすら言い放った人だ。(当時不安定だった私はきっと相当くらったのだと思う。今思うとそんなやつ蹴り飛ばせと思うが、今も夢に出るほどにトラウマになっている、し、未だにわたしは考える自分を恥ずかしく思い、変だと思い、嫌われると思い、人に言うのを躊躇う。それでも言うのには理由がある。)

どれだけ対話をしても分かり合えない人がいるという事実が、その途方もなさが、私を地の底へと落とす。生きているのが苦しいほどに絶望する。

わたしは対話でどこまで救おうとしているの?

わかってくれる人だけでいいなら対話する必要もないんじゃないの?

 

f:id:hachi_wimps:20230420033746j:image

 

先月、またお墓参りに行った。

また空気を揺らすようなオペラが聴こえてきて、私はボロボロ泣いて、その日はもうだいぶ暖かくて、ダラダラと母親と就活の話をして、内定決まったらまた来るね、といい、線香の匂いを服に染み込ませ、楽しみだった上野に向かった。

おじいちゃんとの対話のあと、温かい気持ちに気付き、同時に対話の場での温かさを思い出す。

「変だ」といって離れて行く人が多いなかで、「変だ」と感じて近付いてきてくれる人が対話の場にはいる。

人の価値観を受け入れようとする、きく姿勢がその人たちにはあるからなように感じる。

 


『小さな哲学者たち』映画『ちいさな哲学者たち』予告編 - YouTubeという映画を哲学対話の授業の中ではよく見せられる。

フランスの3-5歳の子供たちが哲学対話をするドキュメンタリーだ。

 

彼らは幼稚園で哲学対話の時間を設けられるが、当然、初めは空虚な沈黙が続く。しかし次第に対話はズンズンと転がり始める。

幼さゆえの尊い疑問が、溢れだし、想像を超える言葉がビュンビュン飛び交う。

「知りたいよ、貧しい人は、どうやって貧しくなるの?」

 

発言が交差する。 

「彼の話をきけよ」

 

考えがぶつかる。

「たたけば解決するの?まず話すの。」

という先生に対し少年は心から頷く。

 

彼らの中から、深く考える私をはずかしめるようなことをする人が生まれるだろうかと、そんな利己的なフィールドに置き換えて考える。

ウクライナの映像をみていると、たたけば解決するの?と私の中で先生が問いかけてくる。

 

対話でどこまで行けるだろうか

私には一体なにができるのだろうか